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学会を設立して半世紀越え、外見も丸く丸くなりました。

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日本お好み焼学会/NihonOkonomigakkai


日本お好み焼学会/NihonOkonomigakkai

私が「全日本お好み焼学会」会長です。


日本焚火学会というのを御存じだろうか。これがまた洒落てましてねぇ。学会の会長が世界に類を見ないという頑固で無口な堅物なんですが、それがまた無限の包容力をもつという会長でして。
そんなわけで、1956年の創立の吾が「日本お好み焼学会」会長も、どんな不始末もなく48年間働き続け、今も現役というコテ氏が会員諸氏の満場一致の信任を受け再任されました。若い時分は相当角張ったお方であったようですが、今は角もなくこんなに丸みを帯びました。
その後、会長は53年目という長期にわたる任期途中で退任された。後輩に残したその挨拶は『もち〜と、待ちょうり。よだれが垂れるのもあと1分じゃけ〜。 行儀よう待ちょ〜り〜。』
尾道弁で云われても、チンプンカンプン?!解説すると、「もう少し待ちなさいよ。よだれが垂れるのもあと1分だから。お行儀よく待ってね。」ということらしい。

昭和初期のお好み焼


尾道にお好み焼屋がいつ頃出現したか?これは大いに興味深い研究テーマだ。早速、吾輩はあるお方を訪ねた。米場町でお好みを焼き続けて48年、大正12生まれで今も現役バリバリの「おでん・お好焼小林」の女将さんだ。
彼女いわく、「いつ頃からお好みがあったかは、知らんじゃんねぇ。うち(私)が小学生の頃(推定昭和7〜8年)には、よ〜けい(たくさん)ありましたがな。一番おいしゅう(美味しいと)思ったんが、西國寺大門入口のガードの下で、歯の抜けたおばさんが焼いていたお好みよねぇ。当時は炭で焼いとられて、鉄板に一枚づつしか焼けない小さい鉄板で。
それがねぇ、お好み焼を新聞で包んでくれるんよ。それを家にもって帰って食べようとしたら、お好みに新聞の活字が写っとるんよ。(大笑) あの頃は衛生観念は薄かったからねぇ。そうそう、あの頃のお好みはネギとかまぼこ1切れと天かすしか入ってなかったですよ….」

尾道のお好み焼とラーメン


尾道のラーメンは昭和3年に中国福建省の人が伝えたといわれ、当時は「支那そば」と呼ばれていたらしい。そもそもラーメンといい出したのは昭和30〜40年代のことらしく、尾道の老舗の品書きには今も「中華そば」とある。「尾道ラーメン」というブランドが生まれたのはここ7〜8年の話なのだ。
この「尾道ラーメン」は尾道の老舗・朱華園の中華そばを真似てつくられた大量生産のコピーもの。コピーものでも出来ばえのよいものもあるが、一番おいしいのは、老舗の味だ。老舗は、尾道ラーメンという看板を上げない。だから「尾道ラーメン」の看板があるというのは、この数年の新参ものだ。新参ものだからおいしくないとはいわないが、一部を除いてどんな味かは保証できない。
あるとき、尾道の老舗の中華料理屋に数名の観光客が顔を出し、中華そばの品書きを見て、「アッ、ここは尾道ラーメンがないんだ!!」とがっかりして帰っていった。「可哀想だねぇ、ここは尾道でも有名な老舗のラ−メン屋さんなのにね….」と吾輩は大笑い。近ごろは、頭で食する人が多くなったとは、長い間の人間観察で得た吾輩の「管理社会の味覚学説」である。
ラーメン談義はさておき、尾道のお好み焼は尾道の支那そぼ、中華そば、ましてラーメンよりず〜と歴史が古いと云うのが、吾輩が主張する仮説である。なぜなら、昭和3年に尾道に伝えられたという「支那そば」は、その後の「ラーメン」と呼ばれ始めた昭和30〜40年代まで、屋台での経営であったらしい。それに比べ、「おでん・お好焼小林」の女将さんの話では、お好み焼屋は昭和7〜8年にはよ〜けい(たくさん)あったという動かぬ事実。尾道で屋台村があったというのを吾輩は耳にしたことはなく、昭和の初期におけるラーメンの屋台数は少なかったのではないか。少ないということは、いまだ大衆に認知されていないということだ。ものごと流行るには少々の時間がかかるのは常識。この常識に推論を展開していくと、「尾道のお好み焼は、尾道の中華そばやラーメンより歴史がある!」という結論に至るのである。この推論いかがであろうか。

お好み焼という名前が意味するもの


お好み焼は、「焼く人、食べる人が、各々自分の好みに合わせて作り、おいしく食べればいい」という、いわば「大衆的で、それでいて西洋の絶対神とは相対する東洋的な崇高な思想をもはらんだ名前だな」と吾輩は感心する。
したがって、お好み焼は、どこの作り手(店)が上手で、どの作り手が下手だという判定は付けがたく、これはもう食べ手が実際に食べてみて、自分の好みに合った味の店が一番おいしいお好み焼き屋なのだ、という崇高な結論に達するのはもっともな話ではないか。
さて、尾道には、かの全国的に有名になった「尾道ラ−メン」屋の二倍くらいの「お好み焼」屋があるという事実をご存じの方は意外に少ない。統計学的に云えば、その格差が明瞭である。平成の大合併前の旧尾道市では、ラーメン店の店舗数が32軒、ところがお好み焼き店は実にその倍を越える67軒(2006年12月調査)なのである。しかしながら、この10年あまりで急速に尾道市内の至る所に「尾道ラーメン」の幟が立つようなり、形勢は逆転したかも知れぬ。
歴史都市・尾道を徘徊しての「自分探し」はもちろんのこと、自分の味覚探しに歩いてみる値うちは大いにあるのではないだろうか。

お好み焼の食べ方にも流派あり


お好み焼の味は、その作り方や食材、鉄板の厚みなどでさまざまに変化する。しかしながら、焼き上がってから、口元へ運ばれるまでの時間的経過の中で、これまた大いに変化することを御存じであろうか。
それでは、ここで尾道に成立するお好み各流派お得意の所作や流儀、奥義をチラッとご紹介してみよう。

◼️「熱々、フーフー派」


鉄板の上にお好み焼を置いたまま、自らコテで適度の大きさに切り、「熱、熱ッツ、フーフー」と云いながら口元へ運ぶ流派。(奥義)お好み焼は、火傷をしながら食べるべし。

◼️「おごそかに華麗派」


お好み焼を店の人に大きなコテで適当なサイズに切ってもらい、さらにそれを皿に載せてもらって、「さあ、どうぞ!」。自らは割り箸を割るだけで、皿に盛られたお好み焼をしとやかに食する流派。(奥義)お好み焼は、すべてを委ねた後に食すべし。

◼️「何がなんでも持ち帰り派」


大衆の面前で食べるのは嫌で、隠れ家や居なれた場所でじっくり味わう流派。お好み焼を店にあるトレーに入れてもらい、ラップでくるんで持ち帰るのが一般的。なかには好みの皿をもって行き、お好み焼を持ち帰る「通」もいる。(奥義)お好み焼は蒸して食すべし。

広島風ではない、尾道風「お好み焼き」だ!!


お好み焼きには、関西風(京風)、広島風と尾道風がある。関西風は御存じの通り、スプーンですべての食材をかき混ぜてから、鉄板で焼く。その点、広島風も尾道風も、生地だけを鉄板で焼き、その上に具を重ねて行く。ここでいう生地とは小麦粉を水にとかしてサラッとした状態のものだ。これを水の配合を少なくしすぎて、結果ドロドロ状態で焼くと分厚いものになり、まるで粉を食するようで味が落ちる。鉄板にお玉杓子(お玉ともいう)で生地を垂れ流し、柄杓の背でライスペーパーのように薄く伸ばして焼くと良い。
それでは、広島風と尾道風はどこが違うか。まず具の載せ方(尾道風は芸術的)や焼きにかける時間(広島風は尾道風の半分位)が全く違う。それ以上に決定的に違うのが、尾道風では、すべての具を配置した後に再びその上からお玉でゆっくりと、丁寧に生地を流し込む。この生地により具同士がそれぞれ繋がりをもち、全体としてより一段と味わい深いものとなるのだ。その点、広島風はキャベツの上に具を置いて蓋をして蒸し焼きするので、それぞれの素材がバラバラだ。尾道焼きは、焼き上がる前にコテでお好み焼を時折グイグイ押さえながら焼くことも特徴か。
ここまで辛抱強くお読みいただいたお方のご褒美に、大盤振る舞いで「日本お好み焼き学会」の尾道風お好み焼(尾道焼)のより詳しい作り方を解説と一部写真で紹介しよう。

秘伝『尾道焼』の作り方


(1)鉄板●お好み焼きの味は、鉄板の厚さで決まるといって良い。まず最初に充分に焼かれた分厚い鉄板に油をひく作業がおごそかに行われる。
(2)生地を焼く●お好み焼きの生地の作り方は店それぞれの秘伝があり、知る由もないが、ボールの中に作られた薄力粉を溶かした生地をお玉ですくい、鉄板に注ぐ。真ん丸になるようお玉の背でやさしく撫でる。広島風とは全く正反対で、実にていねいに時間をかけて納得できるまで丸く丸く...。
(3)焼かれた生地につぎつぎと具が●生地が適度に焼かれた上に、まず呼吸を整え、削り節粉(粉鰹)をまんべんなく手で振りかける。
(4)細かく刻まれたキャベツ●その上に細かく刻まれたキャベツを真ん丸に焼かれた生地からはみ出ぬよう、ていねいに載せて行く。
(5)お次は麺●あらかじめほぐした「そば」か「うどん」(お好みでどちらかを選択)をキャベツの上に載せる。その上にお客が選んだ牛肉や豚肉、さまざまな海の幸などいろいろな具を載せて行くのだ。ここで広島風と尾道風の違いを。焼そばをトッピングとして入れる場合、広島風では麺を別に炒めてからキャベツの上に置いていくが、尾道風は生の麺をそのままキャベツの上に置き、具と一緒に焼き上げる違いがある。
(6)作り手の作法●焼き手であるお店の主人の感性にあったポイントに具を配置し、アーティストさながら自らのお好み作品を作り上げていく。尾道風お好み焼きは何よりも1枚1枚を愛情をもって作り上げていくという作家精神が必要なんだね。このあたり、尾道風お好み焼きの極意が感じられる場面か。日本お好み焼学会/NihonOkonomigakkai

(7)お好み焼きの老舗の隠し味●さまざまな彩りの具がキャベツの上に配置され、その上に老舗の隠し味である「紅しょうが」や「天かす」「豚の背油」などが作法宜しく置かれて行く。
(8)これが広島風と尾道風の違いだ●広島風と尾道風は、具の載せ方や焼きにかける時間(広島風は尾道風の半分くらいか)が全く違うが、それ以上に決定的に違うのが、すべての具を配置した後に、尾道風では、ふたたびその上からお玉でゆっくりと丁寧に生地を流し込む。この生地により具同士がそれぞれ繋がりをもち、全体としてより一段と味わい深いものとなるのだ。日本お好み焼学会/NihonOkonomigakkai

(9)やっとコテの出番が●すべての具の盛り付けが滞りなく終わると、やっとコテの出番がやってくる。こんがりと焼かれた生地と鉄板の間に2本のコテを左右から差し込み、一気にひっくり返す。そして、適度の力を加えコテでお好みを押さえながら焼き続ける。
(10)焼きの確認:コテでふたたびひっくり返し、お好みの表面がこんがりと焼き上がったかどうかを確認する。
(11)最後の仕上げは●お客の好みにもよるが、お好み焼きをより美味しくさせるのが、半熟の卵だ。卵を鉄板にコツんと当てる。さりげなく卵の殻を片手で割り、鉄板にポコンと中身を落とす。(もちろん素人は両手で割ってくださいな)次にテコで卵黄の薄膜をやぶり、卵白いっぱいに広げる。
(12)お好みと半熟卵の合体●ふたたびコテでお好みをひっくり返し、半熟の卵の上に優しく載せる。
(13)最後のおまじない?!●数十秒後、テコを差し込みクルリと回す。半熟の卵がよりまんべんなく焼けるようにとの配慮のようだが、これは神業?!
(14)もうちょっとじゃけぇ●ふたたびコテでひっくり返す。合計四回のコテの裏返し技でおいしい尾道風お好み焼きが姿を現す。次にこんがり焼けたお好み焼きの表面にコテで格子状に切れ目を入れる。
(15)いよいよソース●お好み焼きの味を決定する大きな要素がソースにあることは周知のことだ。オリジナルなソースはこれまた各店の極秘のヒミツ!!その秘密のソースを総仕上げでお好み焼きに刷毛で塗っていくのです。
(16)そして青海苔、かつおの粉●ソースを塗ったその上に、青海苔、かつおの粉、お好みで胡椒や七味などふりかけて出来上がり!!
(17)猫舌へのご配慮●お好み焼きを食する作法はいろいろあるが、吾輩のような猫舌のお方には、特別サービスで半分に切って食べやすくしてあげましょう。
(18)さあ、どうぞ!●お皿に入れてあげました。「さあ、お食べなひゃあ」(召上がれ)日本お好み焼学会/NihonOkonomigakkai

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